ガイドする写真家・せ~じができるまで。~ その1 ~

自分のルーツをたどってみよ~♪

はいさい!
沖縄・座間味島の海から癒しを届け、みんなで元気になろう!
ダイビングガイド兼写真家のせ~じです。

 

このブログを読んでくれている方は、私との付き合いが長く私のコトをよく知ってる方もいれば、ちょっとだけ知ってる方もいます。

でも、新たに活動の幅を大きく広げたタイミングでブログを再開したので、初めて私のコトを知って興味を持ってくれた方も多いかなぁと。

そこで、ちょっと私自身のコトについて話してみます。

なぜ、ダイビングの仕事なのか。
なぜ、写真家もやってるのか。
なぜ、座間味島で活動するようになったのか。
今、何を目指してこの仕事をしてるのか。

 

んー。長くなるはずだから連載方式にしちゃいましょう。プロの作家みたいでカッコいいっすね!

 

ダイビングとの出会い。

私がダイビングに出会ったきっかけはすごくシンプルで、親父がダイビングショップをしてたんです。

中学校に通うころには、毎日のように学校帰りにショップに顔を出して、船を洗ったりタンクを運んだりしてバイト代という名のこずかいをもらってました。

そうこうしてるうちに、おなじみのお客様にかわいがってもらい、
この人たちと一緒に潜りたいなぁ~。
オレが潜れるようになったらきっと喜んでくれるよなぁ~。
って思うようになったんです。

そうと決まれば、ね。
最高の環境があるわけだから、新米スタッフさんの練習台として講習を受けさせてもらって、晴れてダイバーの仲間入りです。

この時、たしか14歳( ̄▽ ̄)。

潜りたい時にたくさん潜らせてもらってダイビングの経験も積み、何人もの新米スタッフの方と一緒にインストラクターを目指して修行してみたり、気がつけば、いっちょまえにスタッフ気取りのクソ生意気なヤツになっちゃいました。

今考えたら絶対にあり得ないコトなんですが、高校生の頃には体験ダイビングのガイドやってたもんなぁ。

素晴らしいスタッフの方々に揉まれ、多くのお客様にかわいがってもらい、今いる私の3分の1はここで育ててもらったなぁと思います。

県内屈指の進学校に通わされていた私でしたが、大学なんて行く気もなく、学校も出席日数ギリギリまでサボりたおして海にばかり行ってました。
毎日が明るく、楽しく、卒業したらこのまま正式にダイビングインストラクターになるんやと、迷いも疑いもなく考えていた私。

 

しかし!人生は上手くいかないから面白い。

高校3年生になった私を衝撃的な出来事が襲います!
そこから行き当たりばったりな私の人生が幕をあけるのでした。。

ベタやけど、ここで続く。。。(笑)

プロフィール

宮里 清司
宮里 清司
1977年・沖縄市生まれ。 中学生の頃から、父親の出身地である座間味島の海に潜り続けてきました。 大人になって座間味の海でガイドをするようになったのですが、父親との衝突や減圧症の軽症状に悩み、ダイビング業界を一時引退。 その後、何の縁か海の無い滋賀県に移り住み、ふとしたきっかけで警察官となり、機動隊で潜水士をしていました。 やっぱりダイビングからは離れられなかったです。 そして、座間味の海からも離れられなかったです。 警察官を辞めて、座間味の海に帰ってきました。 今は、子供の頃からずっと見続けてきた座間味の海でガイドダイバーとして、そして写真家として活動しています。

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