ガイドする写真家・せ~じができるまで。~ その7 ~

迷走はさらに加速して「笑撃の展開」へ。

はいさい!
ダイビングガイド兼写真家のせ~じです。

自分のルーツをたどってみよ~♪
なんて軽いノリで始まった連載企画。

第7話まで来ちゃいましたね~(^^;)。

 

島を離れることにして、、、

あんなに憧れ続けていたはずのダイビング業界。
心身ともに疲れ果てて、ダイビング業界(特に、親父の会社)が大嫌いになってました。

カレンダーどおりに休みたい!
仕事量に見合ったちゃんとした給料が欲しい!
仙崎大輔(海猿のマンガの方ね)カッコいい!

あの頃は、こんな感じの心境だったのかなぁ。

で、たどり着いた結果が、

よし!公務員だ!
海上保安庁の採用試験を受けよう!

と、あっさり島から逃げ出してダイビング業界を引退しちゃいます。

で、過去の失敗は繰り返すまいと、那覇の本屋さんに直行して「海上保安庁を受けるには」みたいな本をたち読みして買って、ちゃんと情報収集。

そこで得られた情報は、
・海上保安大学校は広島の呉にあるけど、年齢制限があって、受けられない。
・海上保安学校が京都の舞鶴にあって、次の受験が私の年齢制限ギリギリ受験できるラストチャンス!
ということでした。

舞鶴 = 京都 = 関西かぁ。
よし!関西に出て働きながら受験生活をしよう!

と思い立った私は、その足である人材派遣会社へ行き、関西で住み込みの仕事を探してもらいました。

 

そして、第二の故郷となった滋賀県へ、、、

そうして、島を離れた翌日に滋賀県の八日市市(現在は東近江市)へとカバン一つもって旅立ちます!

忘れもしない、平成13年2月10日のコト。

宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ軍の原潜と衝突沈没する事故のあった日でした。

この日は大雪が積もっていてものすごく寒く、入ったばかりのアパートにはテレビと洗濯機が置いてあるだけでストーブなんかはありません。

布団の中に入って横になっても、吐く息が白いコトに衝撃を受けたなぁ。

生まれて初めて見た雪は、絶望感の象徴だった。

自分で選んだことなんやけど、布団の中で泣いてました(笑)。

 

さすらいのペットボトル職人となりました。

家出同然で本と服、ちょっとのお金だけを持って島を離れてしまった私は、

とにかく一生懸命頑張るしかない。

と、毎日、工場でペットボトルを作りまくっては、アパートに帰って受験勉強してました。

 

そして、春になり、生まれて初めてソメイヨシノの満開桜を見て感動していたあの頃。
海上保安学校の受験要綱を取り寄せた私に、衝撃的な事実が突き付けられます!

あれ?年齢制限オーバーしてる・・・・・。

・・・・・・オレ、去年がラストチャンス?

・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで?

那覇で立ち読みしていたあの本、あのとき買って大切に持っていたあの本。
暗い所で必死だったボクにとって、たった1つの明るい道筋だったあの本。

そりゃあ、何回も見直してみましたよ。

あっ!・・・・・・。

発行年が2年前になっている。。。。

えっ!マジかっ?(若干パニック)

そんな感じでした(笑)。
過去の過ちからちゃんと学習して、情報収集したはずの宮里青年。
ツメが甘かったぜ・・・。

生まれて初めて見た桜も、絶望感の象徴だった。


絶望感たっぷりの宮里青年にやってくる次の天気転機!

人生は何が起こるかわからない。
何が正解になるのかもわからない。
だからこそ、面白い。

そんな宮里青年の「笑撃の展開」は、まだ続く。。。

プロフィール

宮里 清司
宮里 清司
1977年・沖縄市生まれ。 中学生の頃から、父親の出身地である座間味島の海に潜り続けてきました。 大人になって座間味の海でガイドをするようになったのですが、父親との衝突や減圧症の軽症状に悩み、ダイビング業界を一時引退。 その後、何の縁か海の無い滋賀県に移り住み、ふとしたきっかけで警察官となり、機動隊で潜水士をしていました。 やっぱりダイビングからは離れられなかったです。 そして、座間味の海からも離れられなかったです。 警察官を辞めて、座間味の海に帰ってきました。 今は、子供の頃からずっと見続けてきた座間味の海でガイドダイバーとして、そして写真家として活動しています。