たった1枚のポスターが、見た人の人生を大きく動かすこともあります。

はいさい!
今日は大阪の心斎橋に潜伏しているせ〜じです!

駅の構内で見かけたこのポスターがなんかじわじわきてます(笑)。

ボクの記憶とイメージでは、警察官採用試験のポスターって、白バイとか刑事さんを中心にかっこいい雰囲気で作ってたり、交番のお巡りさんがおばあちゃんとニコニコしてるようなほのぼのした雰囲気のものが多いように思います。
警察官に採用された後の「将来の姿」をイメージさせて志望を促すという狙いなのかなぁ。

 

警察官という職業を選択するってコト。

でも、さ。
採用後の現実は甘くないです(笑)。

白バイに乗りたくて警察官になっても、実際にそこにたどり着けるのはほんのわずかな人しかいなかったり。

刑事って比較的実現しやすいけれど、実際に刑事課に配属になってみたらテレビで見ている「刑事さん」とはまったく違う現実があったり。

そもそも、警察学校での厳しい訓練や稽古、法律論や実務論といった勉強についていけず(頑張ることなく)脱落してしまったり。

「白バイ」とか「刑事」とか、そういう目に見える形での表面的な志望動機だけで警察官になってしまうと、「理想と現実のギャップ」とか「ちょっとした挫折」で警察官という職業に対するモチベーションがなくなったりするんすよね。

ボクが、16年前に滋賀県で採用試験を受けて警察官になったのは、まさに表面的な志望動機やったんやと思います。

 

宮里せ〜じの場合。

座間味島からの脱出。

ボクが22歳の頃、親父が座間味島で立ち上げたばかりのホテルとダイビングショップでオープニングスタッフとして働いていたんですが、あの頃は心身ともに疲れ果てて、ダイビング業界(特に、親父の会社)が大嫌いになってました。

カレンダーどおりに休みたい!
仕事量に見合ったちゃんとした給料が欲しい!
仙崎大輔(海猿のマンガの方ね)カッコいい!

あの頃は、こんな感じの心境やったっす(笑)。

で、たどり着いた結果が、

よし!公務員だ!
海上保安庁の採用試験を受けよう!

と、あっさり島から逃げ出してダイビング業界を引退しちゃいます。

で、「海上保安庁を受けるには」という本を買って、情報収集してみます。
そこで得られた情報は、
・海上保安大学校は広島の呉にあるけど、年齢制限があって、受けられない。
・海上保安学校が京都の舞鶴にあって、次の受験が私の年齢制限ギリギリ受験できるラストチャンス!
ということでした。

舞鶴 = 京都 = 関西かぁ。
よし!関西に出て働きながら受験生活をしよう!

と、深く考えることもなく人材派遣会社へ行って、関西で住み込みの仕事を探してもらいました。

 

そして、第二の故郷となった滋賀県へ、、、

そうして、島を離れた翌日に滋賀県の八日市市(現在は東近江市)へとカバン一つもって旅立ちます!

忘れもしない、平成13年2月10日のコト。
宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」がアメリカ軍の原潜と衝突沈没する事故のあった日でした。

この日は大雪が積もっていてものすごく寒く、入ったばかりのアパートにはテレビと洗濯機が置いてあるだけでストーブなんかはありません。

布団の中に入って横になっても、吐く息が白いコトに衝撃を受けたなぁ。

 

さすらいのペットボトル職人となり、そして、、、

家出同然で本と服、ちょっとのお金だけを持って島を離れてしまったボクは、

とにかく一生懸命頑張るしかない。

と、毎日、工場でペットボトルを作りまくっては、アパートに帰って受験勉強してました。

そして、春になり、生まれて初めてソメイヨシノの満開桜を見て感動していたあの頃。

海上保安学校の受験要綱を取り寄せた私に、衝撃的な事実が突き付けられます!

あれ?年齢制限オーバーしてる・・・・・。

・・・・・・オレ、去年がラストチャンス?受験できないやん。

・・・・・・・・・・・・・・・・・なんで?

那覇で買って大切に持っていたあの本、「海上保安庁への道」。
ちゃんと見直してみたら、、、

あっ!・・・・・・。

発行年が2年前になっている。。。。

えっ!マジかっ?(若干パニック)

ちゃんと情報収集したはずやのに、ツメが甘かったっす(笑)。

 

ふと目にしたポスター。

当時、23歳。

とりあえず、工場に通ってはペットボトルを作りまくる生活は続けていたけれど、受験勉強という活動はなくなりました。

半月くらいかなぁ。本当に無気力な日々だった。

そんな中、何気なく駅の構内を歩いてて、たまたま目にしたポスターがあったんです。

滋賀県警察官募集!

たぶん、それ以前にも目にしていたであろうそのポスター。
なぜか、この時だけは強烈なインパクトがあったんす。

かといって、特に立ち止まってみたりすることもなく、アパートまで歩く道中、警察官も公務員なんだよなぁ~とか、そういえば郵便局員も公務員だなぁ~みたいなことをぼ~っと考えながら、

オレ、ここからどうしよう・・・・。

なんて、暗い気持ちで悩んでたんです。
で、ふと、我に返った場所が、八日市警察署(現・東近江警察署)の前!

作り話のような、ホントの話。

で、何も迷うことなく、さらっと警察署に入っていった。

せ~じ「採用試験の資料が欲しいんです。」

警察官「おっ!ホンマかいな!今日が採用試験の〆切やで!この場で書いて出さな間に合わへんで。」

せ~じ「じゃあ、ここで書かせてください。」

やり取りは、たったのこれだけ。
相談するわけでもなく、考えるわけでもなく、直感だけで採用試験を受けることにしました。

書類を書いて提出した後で、「滋賀県警察官採用案内」みたいなパンフレットをもらい、アパートに帰ってペラペラ見ていたら、

琵琶湖で活動している「水上警察隊」が載ってたり、
機動隊の紹介ページには水難救助を担う「アクアラング隊」も載ってたり、、、

これやん!
これ、やりたい!

そうして、真剣に警察官を目指すことを決めたんす(笑)。

 

警察官になってからは、、、

警察学校では

毎日走りまくって、、、、
勉強しまくって、、、、
筋トレしまくって、、、、
関西弁の特訓して(!)、、、、
柔道と逮捕術の稽古して、、、、
オチのある話術の特訓して(!)、、、、

社会経験のなかったボクにとっては最高の(笑)人生修行やったんですが、ただ、大きな悩みがあったんす。

教官との面接で、今後の希望とか聞かれるわけですよ。
刑事になりたいとか、白バイ目指したいとか。

せ~じ「機動隊でアクアラングがしたいです。」

教官「あかん。機動隊は柔道とか剣道の猛者が行くトコや。お前みたいな一般人の行けるトコちゃう。」

せ~じ「じゃあ、水上警察隊がしたいです。」

教官「あか~ん!水上警察なんか、あんなトコ目指して行くトコちゃう!」

せ~じ「。。。。(ち~ん)」

私の希望はことごとく否定されてしまったんです(笑)。

でもね、警察学校の隣に機動隊があるわけですよ。窓から見える隊員がカッコよくて、アクアラング隊の出動とか、訓練をチラ見してはホントに憧れてて。

警察学校の大浴場が、機動隊との共用だったので、お風呂で機動隊の先輩を捕まえては、挨拶してアクアラングの話を聞かせてもらい、アピールしまくってました(笑)。

 

新米警察官時代の奮闘記。

そうこうしているうちに、警察学校の過程が終わり、県下最大の大津警察署へ配属となり、新米警察官として交番勤務することになります。

そこでも懲りずに、アクアラングとか水上警察とか希望をアピールしては上司や課長Aに怒られてました(笑)。

交番に配属されてから2年。
人事の希望について、せめて話くらいは聞いてもらえるようにならなきゃなぁ。まずは目立ってやろう!と決めました。

窃盗犯(泥棒ね)をたくさん捕まえてみたり、、、、
暴走族のチームを手なづけて大人しくさせたり、、、、
大乱闘の現場があればそこで誰よりも暴れてしまったり(!)、、、、

とにかくど真剣に頑張ってたなぁ。

そんな時、大きな転機となる事故が発生!

琵琶湖でヨットが転覆、沈没する大きな水難事故が発生したんです。
自力で泳いで助かった方もいましたが、捜索の結果、数日後に水深40m付近にヨットが沈んでいるのを発見したそうです。

当時のボクは、交番勤務だったので現場にも行くことができず、でもヨット事故はすごく気になっていたので、当時の課長Bからいろいろ話を聞きだしていたんです。

で、ボクはボクで、潜水経験だけは県警の誰にも負けないと思っていたので、捜索方法とか、水深40m地点からのヨット引き上げ方法、ご遺体の揚収方法を勝手に提案して課長Bに聞いてもらったりしてました。

 

まさかの人事異動発令!

事故の捜索も引き上げも全てひと段落して、もうすぐ冬も終わろうかという頃。
機動隊や水上警察へ行くのはほぼ無理やろうなぁと思いながら、交番で色々頑張っていたんですが、とある事件の捜査本部応援のため刑事の見習いみたいなことをするハメになったんです。

で、その捜査本部で班長に褒められていい気になってたボクは、刑事になろうかなぁなんて浮気ゴコロを出し始め、刑事修行に入ろうかと決意をしかけていたら、、、

3月末の人事異動でまさかの機動隊配属!

これは、喜びを通り過ぎてマジでびびりました(笑)。

あとから教えてもらった話なんだけど、あのヨット事故の発生をきっかけに、県警本部ではアクアラング隊を強化しようという方針になったそうで、課長Bが私を推薦してくださったとか。

ぶれない思いで猛アピールしてたら、絶対に無理だと言われ、怒られ続けてきた機動隊への道までも引き寄せてしまいました。

警察最後の砦を担う機動隊!
そこではさらに厳しい男の修行の日々を過ごしながらも、希望通りアクアラングの活動をさせてもらい、琵琶湖で潜ったりしてました。

 

でもやっぱり現実は甘くない。

男の修行だった機動隊勤務も3年目に差し掛かったころ、組織上の都合で、私の機動隊勤務は突然終わりを告げることになり、県警本部勤務となっちゃいました。。。

スーツとネクタイです。。。車通勤から電車通勤です。。。
毎日、毎日、パソコンカタカタし続ける日もあれば、1日中歩き回ったり、ひたすら運転手だったり、ひたすらクリックだけしている「恐怖のクリックマン」と化してみたり・・・。

そんなプチパニックな日々を送ってると、巡査部長へと昇任して再び交番勤務になってみたり・・・。
そこでは新人時代のように、泥棒をたくさん捕まえて、変質者を追い込んで、乱闘の現場では誰よりも一番暴れてしまったりそれなりに楽しかったんですが、そんな交番の班長生活も突然終わりを告げ、再び内勤勤務へ・・・。

またスーツを着てパソコンカタカタし続ける日もあれば、1日中歩き回ったり、ひたすら運転手だったり・・・。
さすがに、巡査部長で主任の席にいたから、「恐怖のクリックマン」ご指名は、もうなかった(笑)。

そんな歯車のような日々を送っていたとき、ふと思ったりしたんです。
まぁ、20年か30年勤めたら、区切りのいいところで警察官を辞めて、ちゃんと親父の跡継ぎも考えないとなぁ・・・。

現状に不満があったわけではなかった。
しんどかったけど、そんなに深い闇もなかったし。
ただなんとなく、そんなことを思ったりしていた。

で、あるとき、職場でどうしても思うように結果が出せず、課長と大衝突を起こしてしまった時に、売り言葉に買い言葉的なヤツで、「沖縄に帰ってしまえ!」みたいな事を言われちゃうわけですよ。

で、そのときにハッと思ったんです。

あっ!確かにそうだ!
歳をとってから帰ったら、跡継ぎがしんどいやん!
今でしょ!

みたいな、ね(笑)。
だから、売り言葉を買っちゃった(^^;)。
親父に連絡を取って、島へ戻って跡継ぎすると伝えて、すぐに警察官を辞めちゃいました(笑)。

 

警察官になるということ。

振り返ってたらすごく長くなったけど、ここで今朝の話に戻りますねー。

ボクが駅で見たこのポスター。
子供の頃、誰もが持っていた「純真な正義感」を感じますよねー。
これって、警察官を目指す「本質」なんやと思ったんです。

白バイでも、刑事でも、機動隊でもいい。
部署や勤務内容といった、そういう表面的なことに憧れて警察官になるんじゃなくて、地域や住民の安全・安心を守り、犯罪を予防し、何かあった時は敢然と立ち向かう、「純真な正義感」なんやなぁと。

 

このポスター、めっちゃ心に響いたーー。
我が写真も見る人の心に響く写真になるように磨いていこうっと。

プロフィール

宮里 清司
宮里 清司
1977年・沖縄市生まれ。 中学生の頃から、父親の出身地である座間味島の海に潜り続けてきました。 大人になって座間味の海でガイドをするようになったのですが、父親との衝突や減圧症の軽症状に悩み、ダイビング業界を一時引退。 その後、何の縁か海の無い滋賀県に移り住み、ふとしたきっかけで警察官となり、機動隊で潜水士をしていました。 やっぱりダイビングからは離れられなかったです。 そして、座間味の海からも離れられなかったです。 警察官を辞めて、座間味の海に帰ってきました。 今は、子供の頃からずっと見続けてきた座間味の海でガイドダイバーとして、そして写真家として活動しています。