人の想いは語り継がれていく。

人にも島にも歴史ありっす。

はいさい!
3週間ぶりに名古屋へやってきた、ダイビングガイド兼写真家のせ~じです!

いきなり頻繁に名古屋に行くようになったので、島の一部では「名古屋にオンナがいる説」が浮上してます(笑)。

小さな島では、雑談の中にある他愛もない冗談が、根も葉もないウワサへと成長を遂げて、ヒマな人を盛り上げるために一人歩きしちゃいます。

「名古屋にオンナがいる説」は、間違いですよ~!
名古屋だけじゃなくて、東京にも、大阪にも、那覇にもいますからね~。あと、なんとかスタンにも(笑)。

やべぇ、無駄な炎上しちゃうかな(。-_-。)

島と人に、歴史あり。

さて、しょうもない話題は置いといて。

先日、座間味ホエールウォッチングのパイオニアである大先輩方と、私のクジラ師匠達と、一緒に飲みながらクジラ談議で盛り上がっていたときのお話を。

(こういう前向きな盛り上がり酒席は、大好きっす)
私がお世話になっているNO-Yのボス、宮平聖秀さんの親父さんで、「民宿高月のオジィ」こと、故・宮平秀幸さんの話をたくさん聞かせてもらいました。

今でこそ、座間味ホエールウォッチングの大きな要素となっている探鯨システムの先駆け的な存在であり、座間味島のウミガメの調査や保護の先駆け的な存在であり、多くの観光客に慕われていた方だそうです。

そして、なにより映画「マリリンに逢いたい」のマリリンを飼っていた方。

高月のオジィがいろいろ活動していた大きな基盤があって、今のホエールウォッチングやウミガメスノーケルが形になっていったんだと。
やっぱり、島にも人にも自然にも歴史があるんだなぁ~。

で、そんな偉大なオジィの血と思想を引き継いでいるボスから、座間味の歴史や海やたくさんのことを教えてもらい、語り継いでもらっているんやなぁ~と、酔った頭で勝手に感動して、ちょっとだけ、ウルっとしてたんですよ。

私にも、私なりに座間味にこだわる理由があったわけですから。

オレにも、歴史あり?

そしたら、ね。

ふいに、
「せ~じ!お前もだよ!」
と言われたんです。

せ~じ「ん?オレですか?」

ボス「お前にも立派な島の血が通ってる!」

ボス「マスオさん(私の親父)の血は、ヤバいぜ!」
「かなり強いぜ!(笑)」

と、ふいに言われてしまって。
そしたら、大先輩方も、
「やんど~やんど~。お前はオジィの血も強い!」
「セイシロー先生(私のオジィ)とキミ先生(私のオバァ)は、大変立派な方なんだよ!」
と、ね。

島の大先輩方の多くは、教員をしていたオジィとオバァの教え子だったそうで、かなり厳しい恐怖の存在だったそうです。

オジィは私が反抗期真っ只中のときに亡くなってしまったので、オジィから大きな影響を受けとることなく今に至ってると、そう思っていたけど。

亡くなって25年以上が経った今、ここで私の人生に少なからず影響が及んでいて、支えになっているなんて。。。
先輩方、ズルいっす。
酒を飲んでいてその話題は、耐えられないっす。
こっそり隠れて泣いたのは、ヒミツっす(笑)。

親父が私に与えたもの。

話をちょっと戻して、私の親父のこと。

以前の連載記事「ガイドする写真家せ~じができるまで」で、度々親父のことを書いていたのですが、現実的な関わりだけしか書いてなかったなぁと、、、

前回の名古屋遠征以来、考える機会をもらっていた「両親または父、母から受けた影響」というテーマ。

ずっとモヤモヤ考えていたんだけど、あの酒席でふとしたボスのコトバが引き金になって、私が親父から受けた影響というものが、少しずつ明確になってきたかなぁ。
そして、ようやく書き出せるようになってきたかなぁ。
私がまだ小学校4年だか5年のころ。
それまで遊漁船を持っててウミンチュをしていた親父がダイビングショップを始めたんです。

しかも、ダイビングクルーザーを作って。
当時のダイビング業界は、遊漁船みたいな船でダイビングに行くのが主流だったみたい。

親父は、そんな沖縄ダイビング業界に「ダイビングクルーザー」という概念を持ち込んで実践した先駆け的な存在だったと、親父の死後に聞かされました。

で、中学生から私のダイビング修行が始まるのですが、その頃、親父のまわりにいた方々や、その当時若手スタッフでバリバリ働いていた方々って、今、沖縄ダイビング業界のレジェンド的な存在になってるんです。

そんな方々と一緒に飲みながらダイビング談議したり、可愛がってもらったりしていたその経験って、誰でもない「マスオさんの息子」だからできたんだよなぁ。
「自分の道をしっかり見据えて進む」っていう私の信念も、よく考えてみたら親父に似てる(笑)。

親父は、味方もたくさんいたけど、それ以上に親父を嫌ってる人の方が多かったかも(笑)。

そんなトコも、なんか似てる(笑)。

 

改めて思ったこと。

親父の背中も見ていたし、それでもまるまる同じ道を行くわけでも無ければ、考え方も全く正反対やったわけだけど。

今、目の前にある「オレの道」は、親父の影響がなければここまでたどり着かなかったかもなぁ。
で、この島でやっていく限り、知らず知らずに、オジィと親父の残した影響が支えになってるんだなぁ。

まずは!
オジィと親父に、もっとちゃんと感謝しよう!
うん。オレはあまりにも親不孝すぎた。

そして、立派な存在になるつもりはないけど、我が道を行く!

その姿が、いつか誰かに影響を与えることができる存在になれていたなら、胸を張ってオジィと親父に逢いに行こっと!
そんなわけで、
やっぱり私はニコニコやんぞ!
しっかりやんぞ!

プロフィール

宮里 清司
宮里 清司
1977年・沖縄市生まれ。 中学生の頃から、父親の出身地である座間味島の海に潜り続けてきました。 大人になって座間味の海でガイドをするようになったのですが、父親との衝突や減圧症の軽症状に悩み、ダイビング業界を一時引退。 その後、何の縁か海の無い滋賀県に移り住み、ふとしたきっかけで警察官となり、機動隊で潜水士をしていました。 やっぱりダイビングからは離れられなかったです。 そして、座間味の海からも離れられなかったです。 警察官を辞めて、座間味の海に帰ってきました。 今は、子供の頃からずっと見続けてきた座間味の海でガイドダイバーとして、そして写真家として活動しています。

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