親父への想い。

はいさい!
沖縄・座間味島から、ダイビングガイド兼写真家のせ〜じです!

今日も朝から雨が降ったりやんだりの座間味島。

昨日の転落ダメージもあることだし、今日は船上でゆっくり安全管理に努めてましたよ〜。
(今日も中国の方ばかりで、私の出番がなかったことはナイショっす)

 

親孝行って、、、

前にも書いたかなぁ。。
今年になってから「親孝行をちゃんとしていかなきゃ!」と思うコトが私の周りで多々あったんです。

で、先週、兄弟3人が揃っている昔の写真を病床の母親の元へ届けようと思い立ったりしたわけですが(そのコトを書いたブログはコチラ)。

そもそも、なぜ、急に「親孝行」しなきゃと改めて考えるようになったんだろうかと考えてみたんです。

 

マックスブログ塾で出会った方たち。

2月に、名古屋で開催されたマックスブログ塾。
そこで出会った、壁下塾長や坪井さんの話が、心の奥深くにしっかりと引っかかっていたんです。

家業を継いだ「後継者」ならではの悩み、欠点、思考、行動、そして「親との関係」について痛いトコをたくさん突かれ、その後に、

「親への恨み」を乗り越えないと先へは進めない。
許すとか許さないとか、そんなことじゃなく、親にちゃんと感謝して、息子から一言謝れば上手くいくもんなんだ。

という言葉を投げかけられたんです。

 

そこからだろうなぁ。
心の深いトコに隠してあった「親父の呪縛」に真剣に向き合うようになったのは。

 

当時の想いをたどっていくと、、、

私の親父は4年前に亡くなってしまい、私は父の残した会社を後継することなく離れてしまいました。

親父が亡くなる直前、当時の私が心の想いを書いたブログ。
あれ、確かまだ残っているはずだよなぁ〜と探してみたら、、、、

あったんです!
もう数年間もログインしていなかった、昔懐かしの「mixi」にまだ残ってました。

親子
2012.03.04

1年半前に島を訪れたお客さんが、私と親父のことを当時のブログにしてくれていたのを思い出し、そのブログを久しぶりに見ていた。

 

今、親父は本島の病院でガンと闘っている。

治療も打ち切って、痛み止めだけ。
メシもまともに食えないが、栄養の点滴さえも打たないような状態。

それが何を意味するのか、理解はしている。

 

しかし、そんなことはお構いなしに日常生活はやってくる。
ホテルを任された私は、長い間島を離れることは許されない。

つい先日、仕事の合間をぬって日帰りで親父に会いに行ってきた。
意識がもうろうとしている親父が、一言だけ「会社を頼む」と泣きながら私に言った。

 

あれからしばらく経ち、ようやく色々な仕事に一区切りついたから、明日から数日間は仕事を空けて、親父の所へ行く予定を組んでいた。

医者に相談し、親父を連れ出して海を見せてあげようと思っていた。

 

なのに、、、、、

 

つい数時間前、親父の容態が悪化したという連絡が入った。
朝まで生きていられるのかわからないという。

島にいる私は、すぐに親父のもとへは向かってあげられない。
「親孝行はできるときにやっておけ。」
その言葉が本当に重くのしかかってくる。

 

何にもできない。
今夜は長い夜になる。
親父のこと、これからのこと、色々なことに想いを馳せていた時にふと思い出したのは、お客様か書いてくれたそのブログだった。

そこにあったのは、親父と私が2人だけで写っている写真。

 

子供の頃にさかのぼっても、親父と2人だけで写っている写真はない。
すごく珍しく、そしてすごく貴重な2ショット写真。

その機会をくれたお客さんに、改めて感謝している。

この写真をもって親父のところへ行こう。

親孝行したい気持ちと、残された会社をちゃんと経営していかなければいけないという気持ちだけが思い切り空回りしていたあの頃。

そして、「親父の死」に直面したこの時、自分の本音をありのままに書いたこのブログを振り返ってみると、そこには、親父への恨み言なんてひとこともない。

 

やっぱりなぁ。

 

今なら、はっきりとわかる。
ガン告知から1年の闘病生活中、いろんなことが起こっていろんなことに巻き込まれたりしてきたけど、親父だけが悪かったんじゃない。

あの頃は、オレなりに一生懸命に頑張ってきたつもりだった。

でも、オレ自身に問題があったんだ。
オレ自身に、経営者としての実力も人間としての魅力もまったくなかったんだ。

あの頃は、それがわからなかった。
周り全てが信用できないなんて本気で思い込んでいた。

ホントに馬鹿だったね〜。

 

「そのブログ」とは。

さっきの引用部分に書いてあった「そのブログ」。

親父がまだ元気で現役だった頃、親父と私の親子船でダイビングを楽しんでくれたお客様が書いてくれたブログなんです。

親子
2010.07.22

本島から高速船で1時間、人口1000人の離島(慶良間諸島 座間味)に暮らす親と子

親父の背中と海を見て育ったが、親父と大げんかして島を飛び出していたと話してくれた

TOPのような1枚の写真に収まるまでにどれぐらい時間がかかったんだろう

 

島を離れる時、島に戻る時、どんな海と空と夢がひろがっていたんだろう–

海のない田舎で産まれ育ち、親父の背中を見たことも、ケンカしたこともない僕にとっては

とても、羨ましい風景と親子だった

 

社長(親)と8ダイブ、セイジ(子)と1ナイトダイブ、どれくらい綺麗だったかも大事だけど

それ以上に、どれほど信頼できたかが何よりも大事なこと

ありがとうございました!! また行きます

(お客様のブログ「*」より)

ちゃんと親父の背中、見てきていたんだよなぁ〜。

 

親父が望んだ「後継者」にはなれなかったし、この先もあの道へ戻ることはもうないけど、ここからはちゃんと自分自身で道を切り開いて自分の足でしっかり歩いていくことがせめてもの親孝行になるのかなぁ。

 

あれから4年。
長かったけど、ここからは楽しみながら我が道をずんずん進むのみ!
ニコニコ頑張りまっせ〜!

プロフィール

宮里 清司
宮里 清司
1977年・沖縄市生まれ。 中学生の頃から、父親の出身地である座間味島の海に潜り続けてきました。 大人になって座間味の海でガイドをするようになったのですが、父親との衝突や減圧症の軽症状に悩み、ダイビング業界を一時引退。 その後、何の縁か海の無い滋賀県に移り住み、ふとしたきっかけで警察官となり、機動隊で潜水士をしていました。 やっぱりダイビングからは離れられなかったです。 そして、座間味の海からも離れられなかったです。 警察官を辞めて、座間味の海に帰ってきました。 今は、子供の頃からずっと見続けてきた座間味の海でガイドダイバーとして、そして写真家として活動しています。

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